たばこというやつは困ったものだ

たばこを吸うということについて。

僕はたばこを吸わない。吸いたいと思ったこともない。嫌煙家というヤツである。

そんな僕でも、たばこを吸うことの効果言い換えればメリットはあると思っている。

正直、大したことではないと思うけど、吸わないものからしてみると案外大きなメリットでもあるように感じるので書いてみる。


そのメリットを一言で言ってしまえば、「喫煙者特有の連帯感」になるんだろう。

いまや時代は禁煙、嫌煙分煙である。

喫煙者は疎外され、社会的には疎まれている。つまり、マイノリティである。
マイノリティというのは疎外されているから、同じ境遇にいるもの同士の結びつきが強くなりやすい。

社会人にならずとも、大学生でも感じることができるであろう場面。

仕事相手や有人が「ちょっとタバコ」と言って喫煙スペースに行くとする。

すると、そこでは大して仲の良いわけでもない人間がいたとしても、その場では意図的にコミュニケーションを図ることが可能になる。
例えば、仕事上ある人と本音で話をしておきたい場面があるとする。
その人が喫煙者だった場合、喫煙スペースでは案外心理的ハードルが下がるらしいのだ。

仮に、たばこを吸わない僕が喫煙スペースに行ってその人と本音で話しが聞けるかというと非常に難しい。

この、喫煙者特有の連帯感から生まれるコミュニケーションしやすい空気というのは大きなメリットだろうと思う。


ただ、やはりたばこは嫌いだ。

ただし、たばこを吸う仕草をカッコいいと思うことは何度かあった。
その際たるものが、映画『ブロークン・アロー』の冒頭で見ることができるジョン・トラボルタの仕草。
当時中学生?高校生?くらいだった僕がそれを見て思った。

「・・・、もしタバコ吸うようになったらトラボルタのまねをしよう」

もちろん、まねる機会などないわけだが。


喫煙者と車に乗っていていきなり「たばこ、良い?」とか言われても友だちなら断れても目上の人だと断れない。
空気嫁である。


ただ、よくある「たばこ休憩」に対する批判というのは、実際どうなんだろうと思うので割愛。